5話 光明
9月になりました。
9月1日になると父は思いもかけない事を言い始めたのです。
「9月になったから仕事をする」と言うのです。「なったから…」この言葉が胸に詰まりました。確かに注文は沢山ありました。でも、お客様は「親父さんが良くなってからでいいよ」と皆言ってくれていました。本当にありがたいことです。
9月1日の朝から、本当に仕事を始めました。言ったら聞かない父なので私は何も言わず黙っていました。
お尻にステントを入れているため、座ることが出来ず、横座りしながら一週間裁断をしていました。
この時、父は良く「働いていた方が夜良く眠れる」といっていました。
そして1週間後、ミシンを始めたのです。自分身を削って仕事をしている姿はとても痛々しかったですが、本当に凄い人だと思った瞬間でもありました。
最初に仕立てた股腹は実は私が働いている仕事場の上司の人の物で、父は一度も私に「ありがとう」と言った事がないのですが、この時、父の心の中から「ありごとう」と聞こえた様な気がしました。
この上司の人も多分それをわかってくれているようで、お祭りに着る物を病人が作るもの嫌だったと思うのですが、お祭りの日に父と、母を捜して着ている姿を見せてくれたそうです。とてもぴったりだ喜んでくれたそうです。今でも、その時の話を母がしています。この上司の人は本当にありがたかったです。
別の人から、後日聞いた話ですが、お祭りの日に「親父さんお神輿担いでいたよ」と言われた時は本当にビックリしました。呆れてしまって怒ることも出来ませんでしたが、「もっと、自分の体は大切にして欲しい」とやはり後日になって叱りました。まったっく子供なので困ってしまいます。でも、今思うとこの子供のところが、病気が治るきっかけにつながったのだと思います。
子供の父ですから、良く外に出かけたがって困りました。さすがに一人で出かけるわけには行かないので、私がいつもお供をしていました。私が仕事休みの時は、生地を仕入れに行きたい、商品を仕入れに行きたい、親戚に家に行きたいと、よく言われて大変でした。生地を仕入れるたびに、こんなに仕入れても使えなくなるから仕入れないで欲しいと思うほど仕入れていました。その時の生地はほとんど、お客様のもとへ届いています。本当に凄い父です。なぜ、こんなにヨボヨボになっても外に出たがるのか、仕事をしたがるのかその元気さが今につながっているのでしょう。
私は、この何度となく行われて外出の中で、ある体験をしました。それは、自分にとっても大変、心の痛いものでした。皆さんも、きっと私と同じように心の痛い思いをする時があると思います。なぜなら、人は、いつか病気になったり、人と違った生き方をしなくてはならない時がくる可能性があるからです。その時に反省するより、今反省して心の大きな人間になれたらと思います。なかなかなれないことですが。
それは、親戚の家に向かう都電の中のことでした。父の体からは前に書いたように癌から出る体液があり、大変に臭かったのです。スプレーを持たせたり、色々として気遣っていましたが、やはり限界がある様で、都電に乗って2人で座っていると、高校生の女の子たちが、臭いと言って、逃げて行きました。私も学生の時、同じことをおじさんに対してしていました。まさか、病気で臭い人がいるなんて体験しないと判らないのでしていましたが、相手を大変に傷つけるということを父の病気をを通して知ることが出来ました。父は、知らん顔していましたが、かなり傷ついていたことと思います。私は、父の病気のおかげで色々なことを気がつける人間に生まれ変わったと思っています。たまに博愛主義者と言われてしまうこともありますが。。。
そして、毎日の暮らしの中で、私は一つの「言葉」と、1つの「テレビ番組」に出会いました。
「言葉」とは知人からの「このままだったら、死んで行くの待っているだけじゃない」という一言でした。母も周りの親戚の人もかなりこの言葉に怒っていましたが、私は、怒るというより、「本当だ!!今は平和だけど、同じことを繰り返し、いつか死んでいくんだ何とかしなくては」と本気で思うきっかけを作ってくれたようです。
同時に衝撃的なテレビ番組を見ました。仕事場でお昼のニュースを見ようをテレビをつけると、時間がまだ早くその番組はやっていました。私が耳に残っているフレーズは「大腸癌に画期的な治療方法が出来ました。それはPMC療法です。」と言うものでした。頭なのかは、大腸癌・画期的・PMC療法この3つの言葉がぐるぐると駆け巡っていました。
仕事を終えて家に帰ると、すぐにインターネットで、PMC療法とキーワードを入れ検索してみると三重大学病院第二外科という言葉が9割以上を占めていたのです。これが、父と私の三重大学病院第二外科との運命的な出会いでした。
その三重大学第二外科のHPに行ってみると目を疑いました。もの凄い衝撃が私の体の中を駆け巡りHPを何時間も見ていた様な気がします。そして衝動的なメールでしたが、三重大学第二外科にメールを出す勇気をこのHPは与えてくれたようです。
次の日は仕事だたので、メールの返事を見ることが出来ず、どうしてもメールの返事が1分でも早く知りたく仕事場から思い切って病院に電話をしてみました。すると今は手術中なので手術が終わったら折り返し連絡をくれるという事でした。本当に数時間後に、病院の先生から電話が掛かっていました。
三重大学第二外科の 先生には父は切除不能の直腸癌で、他の臓器には転移はまだしていない。という話をしたと思います。先生は、「東京でもPMC療法は出来るので、主治医の先生と話をしてくださる」といってくれました。私は、「父には主治医の先生はいません」「父を三重まで連れて行くので、外来で一度でもいいから診て欲しい」「本当にもう治療の余地がないのか見てほしい」「東京の病院を紹介して欲しい」多分こんなことを頼んだのだと思います。
すると先生は、「遠方の患者さんはベットが空き次第連絡することにしていますが、どうしますか?」といってくださいました。私は、まさか、地位も名誉もお金もない私たち一般人が他県の病院に入院させていただけるとは思ってもいませんでした。私は「是非お願いします」と自然といっていました。そして数日後、本当に三重大学第二外科の先生から電話があり、入院の日時が決まりました。
ただ入院には条件がありそれは、「本人に告知すること」と「前にいた病院の紹介状を貰ってくること」でした。
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